以心伝心じゃだめ

大辞林によると:

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いしんでんしん 【以心伝心】
(1)〔六祖壇経「法即以レ心伝レ心、皆令二自悟自解一」〕禅宗で、言葉では表せない仏法の神髄を無言のうちに弟子に伝えること。
(2)考えていることが、言葉を使わないでも互いにわかること。

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何か思ったときや感じたときに言葉を使ってそれを上手く表現する人と、言葉を飲み込んでしまう人がいますよね。そうしたほうが自分も他人も傷つかない、痛くないという感じ方でどちらかを選択しているのだと思います。「言葉少なく」みたいな感覚が、日本の美である部分もあるのかもしれないけれど、やっぱり黙ってちゃ何もわからない。わかる分けない、他人だもの!ということで、思ったことは言葉を使いましょうのすすめです。

日本語でいうところの『以心伝心』は本当に存在しますか?それは結果が、なんとなく同じ考えだったという事に過ぎないのではないすでか?人それぞれに捉え方も、感じ方もさまざま。同じ赤いバラの花をみても、情熱的な赤と感じる人もいれば、落ち着いたダークレッドと感じる人がいますよね。そこから感じる温度は、人それぞれ。

言葉で表現しておかないと、時間がたつにつれて、自分の中で考えが変化していく。自分はこう思っているけれど、他人はこう思っているという感覚が、もっと自分にとって都合のよい方向に変化していく。果ては、わたしはこんなに傷ついているのに、あの人はそんなことこれっぽりも感じていない。辛いのはわたしだけ…。悲劇は、自分だけのものになっていく。なんて都合がよいことか。もしかしたら、その"あの人"はもっと痛いのかもしれないのに。

アメリカにいると、話さなきゃわからないといわれることが度々あります。そこでわたしの日本人が飛び出て、「言わなくてもわかる。そんなになにからなにまで話す必要はない。人の気持ちは察するものだ」などと考えます。「アメリカは多種多様の民族だからそうなのよ、ニホン人はhomogeneousだから、言葉少なに分かり合える。言葉でいわなきゃわからないなんてねぇ、ちょっと単純すぎやしないか」なんて。

でも先日、「あぁ〜、もうしゃべっちゃおう」とふと思ったのです。黙っているのも、馬鹿馬鹿しくなったというか。つらつら話していたら、そうかちっとも伝わっていなかったんだ。そして、わたしの誤解が雪だるまのように大きくなって、その人を傷つけていたことに気が付いて、ビックリ。わたしも痛いが、その" あの人"も痛かったんだと感じたのです。わがままでした…。

気持ちを表現する言葉を捜すというのは、とても大変で脳みそも疲れきってしまいます。でもやっぱり言葉は、気持ちを表現するためにあるのです。だって以心伝心だけで考えが通じ合うとしたら、なんとも不気味な世界で生きているような気がします。



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あうん-のこきゅう ―こきふ 【阿吽の呼吸】
(1)「阿吽*」に同じ。
(2)二人以上で一つの事をするときに気持ちの一致する、微妙なタイミング。

*あうん 【阿吽/阿】
(1)密教で、宇宙の初めと究極。万物の根元と、宇宙が最終的に具現する智徳。悟りを求める菩提心と、到達する涅槃(ねはん)。
(2)寺院の山門の左右にある仁王や狛犬(こまいぬ)の相。一方は口を開き、一方は口を閉じる。
(3)吐く息と吸う息。呼吸。阿吽の呼吸。
(4)対立する二つのもの。

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[February 16, 2005 〜mimizu記より]

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